現代の抗議運動について

 

「戦後ドイツの抗議運動〜成熟した社会への模索〜」を読んで。

 

 

メモ✍🏻

 

・ドイツではデモが慣例行事化しているのに対し、日本では秩序を乱すもの、特別なものと捉えてられている。メディアでも。

 

・抗議による政治参加が根付いていない

 

・60年代の学生闘争によりデモにマイナスのイメージ

 

・教育の場では政治的中立のもと政治と教育の関わりは避けられ続けていた為非政治的風土が形成されてしまった。

 

 

◆現在のSNSを用いた抗議活動では成果を得ることが難しくなっている。

    ★要因

        ・容易に参加者を集められる

        ・短期間で行われる

        ・SNSを通して参加できる

    これによって… 

        ・確固たるリーダーの不在

        ・組織力の不足

        ・計画性のなさ      

            →運動を継続して行うことが不可能に。

 

  ・支持する者が不在だと集団は機能を発揮できないまま解散してしまう。

  ・SNSで意思表明(ツイート、リツイート)という形で気軽に簡単に抗議活動に参加できる。

                          =簡単に辞退する事もできる。

 

スラックティビズム 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%93%E3%82%BA%E3%83%A0

 

 

◆筆者の意見

   ・コンスタントに活動を続ける事

   ・直接議論を深める事

   ・地道な作業を辿った草の根運動

       ↑が社会に変化を与え成果に結びつく。

 

 

 

感想✍🏻

 

   筆者の推奨する草の根運動は実績や信頼、確固たる基盤を作る上では必要だとは思うけど、正直今の時代に合っていないような気がする。SNSを活用した方が話題性にもなって問題意識が広がるし、進展が良くも悪くも早い気がする。これからはSNSによる活動の欠点をどう克服していくかが課題だと思う。

 

    最近は人種差別に対するデモが各国で起きていて、インスタに黒い写真を投稿して意思表明する事がトレンドになっているけど、イギリス在住の方がSNSでの娘さんの様子を見て「運動に参加しなくてはいけないプレッシャーや、それにより分断が起きていたり若い世代ではさらに複雑になっていると感じた」とツイートしていて、SNSによる抗議活動は気軽に参加は出来るけど、SNSで意思表明するしないの時点で個人の人となり?が問われてしまっているように感じた。意思を表明する事は大切だと思うけど、同調圧力というか、同じ考えを同じ手段で同じように表明しなければならなくなっているのはやっぱりプレッシャーになってると思う。けど、知識がなくても気軽に表明できるのがSNSで、SNSを開く度に黒い写真が頻繁に目に入ってくれば、それが多くの人がその問題について関心を持つきっかけになると思うから、方法としては悪くないとも思う。根本的な解決にならないというか、具体性に欠けてるのが気になってしまうけど……。SNSでの意思表明の次の段階が、知識を得て深く考えることなんだと思う。

 

   ただ、最近のデモはやっぱりどの国も成果を得れていない気がする。LGBTや環境問題に関してはまだマシかもしれないけど、日本はもちろん、香港なんて雨傘運動からずっとデモをしているのに中国という大きな権力を前に無力というか、全然報われていない…。デモの長期化は生活への支障を招いて内部分裂に繋がるし、どんなにアクションを起こし続けても変化が無ければ疲弊してしまう。それに暴動に発展するケースもある。言葉で通用しなかった次の手段として暴動があると思うけど、けが人や死者、どさくさに紛れての犯罪まで出てきてしまったら、やっぱり内部分裂とデモ自体への嫌悪に繋がってしまう。

 

    結局抗議活動の仕方は手段は多様化していても昔から変わっていないんだなってつくづく感じる。何だかんだそれしか方法がないのかもしれない。けど、抗議活動を継続しても状況が変わらない時、人は暴動以外に何ができるんだろう……。