映画 『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 

2020/01/12 吉祥寺アップリンクにて鑑賞。

 

 何か若者が革命を成し遂げる映画かと思って観てみたけど、実際はクラスという小さなコミュニティが行った細やかな抵抗が国を絡む大きな事態になってしまい、さあどうする!といったストーリーでした。政治兼青春映画。

 

 舞台は壁ができる前の旧東ドイツ(母が生まれる少し前)。前知識として社会主義東ドイツでは多くの人が鉱山などで重労働をしていて、選ばれた人が良い職につけるという仕組みがあるらしい。あと、当たり前だけどナチスは敵。

 この映画に出てくる学生達は卒業を間近に控えた優秀な生徒なんだけど、若さゆえに色々しでかしてしまっていた。

 まず、ベルギー動乱の追悼をしよう!と市長の息子、クルトが提案して、それに賛同する人はしない人を逃げていると賛成派が非難。一応多数決で追悼することになるが、先生がそれを国に報告した為、テオがサッカー選手への追悼ということにしよう!と提案するが、腑に落ちないクルト。一緒に正義感に駆られているテオの彼女、レナがクルトと浮気し、さらにテオに「逃げる人は嫌い」とか言いだし、レナを手に入れさらに正義感に酔うクルト…。

 結局みんなクルトをかばって家族と離れ、希望を持って列車に乗って西ドイツに行ってしまうんだけど、それから壁ができて崩壊するまで35年もかかってしまうから、あまり良くない抵抗だったな、と思ってしまった。特にテオのお父さんは鉱山で苦労して働いて、テオに良い職についてもらう為に鉱山に連れていって、テオも重労働の過酷さと親の偉大さを知って家族の為に卒業するぞ!って思ってたはずなのに、結局友達を守って西に逃げることに。35年も会えなくなるとは夢にも思わずに…。結局何の成果も効果もない、親の努力を踏みにじり、無駄な抵抗でしかなかったじゃん…というのが率直な感想。

 けど抵抗をしてしまったのも仕方がない面もあって、西ドイツで観たアメリカの旅立ちと抵抗をテーマにした映画と学生が起こしたベルギー動乱に感化されてしまったこと、ナチス時代のことを話したがらない親の元で育ったゆえの楽観主義、あと何だかんだで高圧的な東ドイツの政治(ナチスのやり方のように弾圧)に違和感を感じていたことが今回の抵抗の要因で、それに国が動くってことは、それだけ東ドイツの国家権力が自信のないものだったということだったから。

 親世代と子ども達の確執も興味深かった。戦争を経験している親達からしたら子ども達の抵抗なんて甘いものなんだけど、自分たちのことを話してこなかったから子ども達はそんな複雑な事情を知らず。後になってクルトのお父さんが英雄だと思っていたエリックのお父さんを反逆者として殺していたことが判明してしまって、あのエリックの悲痛の叫びは本当に切なかった。

 いずれにしろ冷戦中の東ドイツの人の暮らしやソ連や西ドイツとの関係などが知れて勉強になった。あとサークルクラッシャーガールが何なんだって感じだった。